平山郁夫について

平山郁夫の歩み

02. 東京美術学校入学

東京美術学校入学当時
東京美術学校入学当時、同級生と。
左(1947年)。

平山郁夫は1947年(昭和22)、忠海中学を4年で修了し、東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科予科に入学しました。この選択は、大伯父(母方の祖母の兄)の彫金家清水南山の強い勧めによるものでした。寄宿先でもあったこの大伯父から美術論、芸術論、そして画家としての心構えの教示を得ました。

美術学校では、小林古径、安田靫彦教授らの指導を受けました。1952年、美術学校を卒業と同時に、改組された東京芸術大学の副手となって新任の前田青邨教授につき、その後助手となりました。

順風ともみえる歳月ですが、同時に入学した学生の中では最年少で、ことさら絵画の技法を学んでいなかったため、まわりの技量に圧倒されて悩んだことを後年語っています。また、このころの風潮として「日本画滅亡論」に象徴される伝統的日本画否定の議論が興ったこともあって、一時は画家を断念して研究者を目指そうとも思ったこともあったのですが、日本美術史の谷信一教授の懇切な説諭もあって、自信を取り戻し、猛烈な研鑽の結果、1952年(昭和27)、美術学校を卒業するときには第2席となり、作品は買い上げとなるまでになりました。(第1席は、のちに夫人となる松山美知子)

清水南山(1873-1948)。
本名亀蔵。母方の祖母の兄で、平山一家から”清水の大伯父”と慕われた。東京美術学校彫金家教授を務め、1945年に退官。34年から帝室技芸員。平山郁夫に画家の道を勧め、古典、文学、哲学などの絵の修業以外の教養の重要性を説いた。

東京美術学校入学当時、同級生と。
左(1947年)。

読書ノート。
膨大な量の本を読破した。

東京芸術大学副手時代(1952年頃)

「瞑想録」。
若き日の徒然に想いを綴ったもの

東京芸術大学日本画助手時代。
松山美知子とともに

フランス語ノート

東京芸術大学時代。
前田青邨(中央)、須田珙中(右から3人目)、大田聴雨(右から4人目)の各教授らと。前田教授の左が平山郁夫。

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