平山郁夫について

平山郁夫の歩み

03. 日本画家への道

結婚式で。
前田青邨夫妻の媒酌により東京・霊南坂教会で執り行われた(1995年)
美知子夫人は院展入選を果たしていたが、「一家に二人の画家は並び立たない」という青邨の言葉で結婚と同時に自ら絵筆を折った。

美術学校4年のとき、美術学校は新制の東京芸術大学美術学部となり、前田青邨が教授として着任しました。美術学校卒業後、副手として前田青邨のもとで本格的に日本画家の道を歩み始めた平山郁夫は、1952年(昭和27)日本美術院公募展(院展)に初めて応募しましたが、自信を持って応募した作品は、落選してしまいます。
この落選した作品《家路》は、現在平山郁夫美術館で所蔵していますが、この落選は画家として得難い、ありがたい経験であったと後年の平山郁夫は語っています。

翌年の院展には、落選を聞いた日から着手した、落選した絵と同じテーマ、同じ構図の作品《家路》(広島県立美術館蔵)で、再度応募し、初入選しました。その後は順調に入選を続け、55年には同院院友となります。
出品作品は、日本美術院賞(大観賞)、奨励賞、文部大臣賞などを次々と受賞し、61年には特待(無鑑査)、64年には34歳の若さで日本美術院同人に推されて、画壇における位置を確立しました。
この間、1955年(昭和30)に松山美知子と結婚、その後一男一女をもうけています。

平山郁夫の父・峰一が谷信一へあてた手紙。
感謝の気持ちが綴られている。

結婚式で。
前田青邨夫妻の媒酌により東京・霊南坂教会で執り行われた(1995年)
美知子夫人は院展入選を果たしていたが、「一家に二人の画家は並び立たない」という青邨の言葉で結婚と同時に自ら絵筆を折った。

東京・板橋区成増町に住んでいた頃の夫妻。
長男・廉、長女・弥生と(1962年)

熱海・伊豆山の横山大観邸へ新年の挨拶に訪れる前田青邨と東京芸術大学の日本画研究室の仲間と同行。(1953年)

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