平山郁夫について

平山郁夫の歩み

04. 仏教伝来

東京芸術大学の学生と奈良研修旅行
法隆寺金堂の前で (1958年)

東京芸術大学で助手を務めていた1959年(昭和34)頃、原爆症と思われる兆候が現れ、白血球が通常の半分以下になり、極度の貧血状態が断続的に続きました。
死の恐怖と対峙する日々のなかで、平山郁夫は大学の学生を率い、青森の八甲田山を巡る登山のような強行軍の写生旅行に出かけます。自らの限界に挑む若き画家に、5月の燃え上がるような新緑は生命力の蘇りを感じさせました。

その旅から戻ったある日、新聞の小さな記事が、画家平山郁夫に決定的な転機をもたらしました。「東京オリンピックの聖火は、シルクロード経由で運んではどうか」というその記事をきっかけに、一つの絵の構想が浮かびました。
それは、シルクロードの砂漠をゆく旅の僧がオアシスに辿り着く情景でした。中国・唐代の求法僧、玄奘三蔵法師のイメージを描いた院展出品作で、平山郁夫美術館のロビーを飾る陶板の原画《仏教伝来》は、小さな新聞記事がきっかけとなって生まれたのです。

「死ぬまでに1作でいいから平和を祈る作品を残したい」という願いから生まれたこの作品は、美術評論家・河北倫明の新聞紙上の院展評に初めて取り上げられ、そのわずか二行の文字は、若き日の平山郁夫にとってはなによりの励ましとなりました。
《仏教伝来》(佐久市立近代美術館所蔵)は、平山郁夫の画業の「仏伝」と「シルクロード」連作の出発点となる記念碑的作品となりました。

美術評論家、河北倫明(1914-95)による院展評(1959年9月8日付、朝日新聞)。
奥村土牛の代表作《鳴門(戸)》が大きく紹介された同じ紙面の末尾に、新進の作品として《仏教伝来》が挙げられた。

松山常次郎(1884-1961)

東京芸術大学の学生と奈良研修旅行。
法隆寺金堂の前で。

焼損した法隆寺金堂壁画の前で(1966年)

第三号壁画を再現中の平山郁夫(1967年)

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