平山郁夫について

平山郁夫の歩み

06. 日本文化の源流を訪ねて -シルクロード取材旅行-

ヘリコプターで念願の楼蘭を初めて訪れた(1986年)
在住時間49分であった。砂嵐に阻まれながら、必死で写生をする。
傍らで美知子夫人が色鉛筆を削り、阿吽の呼吸で平山郁夫に渡す。

1966年(昭和41)6月、東京芸術大学第1次中世オリエント遺跡学術調査団に参加し、トルコ・カッパドキア地方の洞窟修道院での壁画模写に従事しました。初めて訪れたイスラム圏であり、ヨーロッパとも日本とも異なる文化との出会いでした。
この初めてのオリエント訪問が、平山郁夫の「シルクロード」シリーズの出発点となりました。以後、取材旅行は中近東・中央アジア・インド・中国など150回をこえ、その行程は40万キロにおよんでいます。
その間に描かれたスケッチブックは200冊近くにおよび、スケッチ点数は4,000点を超えています。その膨大なスケッチから、数々の作品が生み出されました。

ヘリコプターで念願の楼蘭を訪れた(1986年)。
滞在時間49分であった。砂塵に阻まれながら、必死で写生する。傍らで美知子夫人が色鉛筆を削り、阿吽の呼吸で平山郁夫に渡す。

エジプトでピラミッドをスケッチ(1977年)。

トルコ・イスタンブールのトプカピ宮で(1977年)。

アレキサンダー大王の道の取材旅行を、美知子夫人が克明に記録したノート。
海外取材には夫人がほとんど同行し、マネージャー役を務めている。
「絵のことしか考えない私にかわって、雑事一切を手際よくこなしてくれるのも妻であり、旅先でスケッチする私の傍らで、鉛筆を削ったり炎天下に日陰を作るために日傘をさしかけてくれるのも彼女である。私が家族のことにあまり興味を示さずにいても、平山家は微動のゆるぎもせずに円滑に推移している。何よりも、私の芸術の最も良き理解者であってくれることを、感謝しなければならない。掛け値なしに、最良の伴侶を得た、と私は思っている。」(『平山郁夫全集第1巻 日本の山河』講談社)

イラン・イスファーハンで(1976年)。

イラクのパルミラ遺跡で(1971年)。

美知子夫人の記録。
イタリア・インド取材ノート。

美知子夫人の記録。
イタリア・インド取材ノート。

美知子夫人の記録。
イタリア・インド取材ノート。

アフガニスタンの町で(1973年)

日本美術家代表団に加わり、中国・龍門を訪問(1975年)。

インドからの絵葉書(1983年)

インドからの絵葉書2(1983年)

インド・ジャイサルメールで(1985年)。

インドのアジャンタ石窟で

取材ノート

取材ノート

取材ノート

酷暑の中で。
中国・タクラマカン砂漠南道で(1986年)。

北京からの絵葉書(1986年)

北京からの絵葉書2(1986年)

厳寒の中で。
2度めに訪れた中国の桜蘭遺跡で(1989年)。

イタリアからの手紙

中国・ウィグル自治区で(1993年)。

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