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プロフィール
平山郁夫
平山郁夫Hirayama Ikuo

昭和5(1930)年6月15日、広島県瀬戸田町(現・尾道市)生まれ。
東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画科卒業。昭和28(1953)年、「家路」で院展初入選。昭和39(1964)年日本美術院同人、平成8(1996)年日本美術院理事長に就任。平成10年(1998)文化勲章を受章。
ほかに、ユネスコ親善大使・世界遺産担当特別顧問、東京国立博物館特任館長、文化財赤十字活動を提唱する文化財保護・芸術研究助成財団の理事長などをつとめた。
平成21年12月2日永眠(満79歳)。

平山郁夫が描いた世界
時代によって変遷した作品のテーマを紹介
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平山郁夫の歩み
平山郁夫の歴史と活動の記録
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しまなみ海道五十三次
平山画伯が描いたスケッチポイント一覧
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当館の収蔵作品
当館収蔵作品をカテゴリごとに紹介
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平山郁夫が描いた世界
瀬戸内の風景と人びと

瀬戸内の風景と人びと

平山郁夫は中学3年生のときに広島市内で原爆投下を体験しました。広島の惨状を目の当たりにし九死に一生を得た平山は、平和の祈りを込めて絵を描きたいと思うようになります。

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仏教の教えと道

仏教の教えと道

東京美術学校を卒業し、東京藝術大学の前田青邨教室の副手となった平山郁夫は、東北地方への取材旅行に学生を引率しますが、道中で凄まじい吐き気とめまいに襲われます。

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シルクロード

シルクロード

 仏教の世界を描く中で、平山郁夫は仏教及び日本文化の源流であるシルクロードへの憧れを強く持つようになりました。また、《仏教伝来》で描いた三蔵法師・玄奘のインドへの旅の追体験を願うようになります。

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日本の道と歴史文化遺産

日本の道と歴史文化遺産

「過酷な自然環境に耐えながら、生活を切り開いてきた大陸の文化とは違い、日本人は古代から自然と調和するように生きてきました。自然の借景を活かし、建物と風景が一体となるような日本人の造形感覚は、西洋の幾何学的な見方とは明らかに異なったものです。シルクロードの乾燥した砂漠地帯を旅して帰ってくると、私は無性に日本の潤沢な緑が描きたくなります。」

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文化財赤十字~平和の祈り

文化財赤十字~平和の祈り

 平山郁夫は、日本文化の源流をたどる取材を続けるなか、散逸や崩壊の危機に瀕する文化財を目の当たりにします。早急な保護・救済活動の必要性を痛切に感じた平山は、戦場で傷ついた人を敵・味方の区別なく救う赤十字社の理念に倣い、文化財にも同様な保護・救済を行う運動を提唱し実践しました。

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平山郁夫 略歴
1930(昭和5)年
0歳6月15日 広島県豊田郡瀬戸田町に生まれる。
1945(昭和20)年
15歳8月6日 学徒勤労動員先の広島陸軍兵器支廠で原爆に被爆。
1947(昭和22)年
16歳4月、東京美術学校日本画科予科に入学。
1952(昭和27)年
21歳東京美術学校日本画科を卒業、東京藝術大学美術学部日本画科副手に就任。主任教授は前田青邨で、以来前田青邨に師事する。
1953(昭和28)年
23歳第38回院展に作品《家路》が初入選、以後入選を重ねる。
1959(昭和34)年
29歳第44回院展に《仏教伝来》が入選。河北倫明氏の新聞評に取り上げられる。
1961(昭和36)年
31歳第46回院展に出品した《入涅槃幻想》が日本美術院賞(大観賞)を受賞。
1962(昭和37)年
32歳第47回院展に出品した《受胎霊夢》が日本美術院賞(大観賞)を受賞。
第1回ユネスコフェローシップにより、ヨーロッパへ留学。(10月~翌年5月)
1964(昭和39)年
34歳日本美術院同人に推挙される。
1966(昭和41)年
36歳東京藝術大学第1次中世オリエント遺跡学術調査団に参加、カッパドキアの洞窟修道院壁画の現状模写に従事する。
1967(昭和42)年
37歳法隆寺金堂壁画再現事業に参加、第3号壁を担当。
1968(昭和43)年
38歳初めてアフガニスタン、中央アジアを取材。シルクロードと仏蹟の取材は、以後毎年のように行われ160回以上となる。
1973(昭和48)年
42歳東京藝術大学教授に就任。
43歳5~6月、アレキサンダー大王東征路の考古学的調査団(団長江上波夫)に参加、アフガニスタンからトルコまで陸路シルクロードの遺跡を取材。
文化庁から高松塚古墳壁画の現状模写を委嘱される。
1974(昭和49)年
44歳バチカン宮殿内現代宗教美術コレクションに、新作《古代東方伝教者》を寄贈。ローマ法王パウロ六世に拝謁、聖グレゴリオ騎士銀褒章を贈られる。
1975(昭和50)年
45歳初めて中国を訪問。
1979(昭和54)年
49歳9月、北京で平山郁夫展開催。初めて敦煌莫高窟を見学する。
1988(昭和63)年
58歳ユネスコ親善大使に任命される。
1989(平成元)年
59歳東京藝術大学長に就任。
1993(平成5)年
63歳文化功労者として顕彰される。
1996(平成8)年
65歳日本育英会会長に就任。
66歳日本美術院理事長に就任。
1997(平成9)年
故郷の広島県瀬戸田町に平山郁夫美術館が開館。
1998(平成10)年
68歳文化勲章を受章。
2000(平成12)年
69歳12月31日、構想三十余年、実制作期間二十年に及ぶ大作《大唐西域壁画》(奈良薬師寺玄奘三蔵院壁画)が完成。
2001(平成13)年
71歳東京藝術大学長に再任される。
2004(平成16)年
74歳山梨県北杜市に平山郁夫シルクロード美術館が開館。
2005(平成17)年
東京国立博物館特任館長に就任。
2009(平成21)年
79歳12月2日 永眠。
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